星 智 個展
Dunstige Landschaft-朧げな風景-
※会期中在廊制作
私の中にある朧げなイメージは
色彩の乏しい世界であることが多い。
制作はその印象を元に
実在のモデルを探すことから始まる。
光を掴もうとしても指の隙間から零れ落ちる様に、
イメージもまた説明しようと声に出したり、
細部を確認しようとした瞬間に
意識の狭間から抜け落ちる。
だから口にはせずに
そのイメージに近い存在を探す。
星 智 Satoshi HOSHI http://s-hoshi.com
Profile
1977 神奈川県生まれ
2003 東京芸術大学大学院絵画科修了
2004 同校坂田哲也研究室研究生 渡独
2022 現在ベルリン在住
個展 (抜粋) Year Exhibition Name: Gallery, City
2022 HOSHI: Bergbau u. Stadtmuseum, Weilburg
2020 Tokyo Story: Schloss Mitsuko, Thürkow
2019 Tokyo Story: ARTnSHELTER, Tokyo
2017 Dogyo-3nin : ARTnSHELTER in Shinagawa, Tokyo
2017 RENEZVOUS in 2117: Galeriecafe Emma T. Berlin
2017 Dogyo-3nin : WHITE SPACE ONE Fukuoka, Japan
2015 Zwischen Realität und Fiktion: Galerie IAC Berlin-Königswinter, Königswinter
2015 Zwischen Realität und Fiktion: Tenri JDK, Köln
2006 White Light Gallery ZERO Berlin
2005 „Solo Exhibition" Damen-Salon Berlin
2001“Solo Exhibition" Gallery KAN Tokyo
グループ展 (抜粋) 2022 Der Schlaf der Vernunft gebiert Ungeheuer: Die Bedürfnisanstalt, Hamburg
2022 8. Int. Malerei Biennale Hamburg 2020
2022 Die Farbe: LiTE-Haus, Berlin
2021 Deutsche-Japanische Gesellschaft Berlin.e.V.: Gesundheitszentrum, Berlin
2019 Kunstpreis der Stadt Weilburg 2019: Bergbau u. Stadtmuseum, Weilburg
2018 Zpap : Gmina Strzeleczki Strzeleczki, Poland
Zaproszenie SABAT: Galeria ART Swinoujscie, Poland
アーティストインレジデンス
2019 04. Mar. - 30. May @ARTnSHELTER Tokyo, Japan
2018 02. Juli – 11. Juli, Zpap Gmina Strzeleczki in Strzeleczki, Poland 2018 07. Apr.- 14. Apr., Zaproszenie SABAT in Swinoujscie, Poland 2017 14. Aug. - 10. Sep., ARTnSHELTER in Shinagawa, Tokyo
受賞歴 (抜粋)
2022 8. Int. Malerei Biennale Hamburg 2020 2位受賞
2019 Kunstpreis der Stadt Weilburg 2019 大賞
コンセプト
「光」をテーマに幻想と現実の狭間を表現する。
私は自分の姓である「星」の意味を長らく考えてきた。英語でStarを意味する星は、夜空には瞬くが、光がある昼間はほぼ目にする事はない。しかし、日々目にする色や形、空の青さや花の鮮やかさ、歩き回る子供や冬支度をするリス、聳え立つビル群や風に揺れる木々、これらは光によって網膜に焼きつく。とりとめのない思考や感情はそれらとお互いに影響し合いながらも目にすることは出来ない。目にするものと、そうでないものとが、自己の内部で混然一体となり、ある日「光」のイメージとして脳裡に浮かぶ。それはまるで大気の影響で瞬く星のような、リアルな夢のような、朧げな幻想である。それを、筆を握ることで現実化させる。その時、ようやく私は文字だけでなく意味としても幻想と現実の狭間に存在することができるのだ。私はただひたすらに光を追い求めているのかもしれない。 私の中にある朧げなイメージは色彩の乏しい世界であることが多いのだが、その印象を元に実在のモデルを探す。光を掴もうとしても指の隙間から零れ落ちる様に、イメージもまた説明しようと声に出したり、細部を確認しようとした瞬間に意識の狭間から抜け落ちる。だから口にはせずにそのイメージに近い存在を探す。そのモデルと出会えた瞬間、それは力強く息を吹き返し、光を増し、色鮮やかになる。日々目にする事象は、私にインプットする要素であると同時に、アウトプットの為のモデルでもあるのだ。
実際の制作作業ではイメージが先行して存在するために、何を意味し、どのようなテーマと関わるのかがわからないままに行われている。ある種の苦行のように、または、まるで私の肉体を使用して何者かが描いているようにそれは行われる。私はこの時も狭間にいると言える。 私は制作作業中もある意味「狭間」にいると言えると思う。
まず、私の中にある朧げなイメージは色彩の乏しい世界であることが多い。制作はその印象を元に実在のモデルを探すことから始まる。光を掴もうとしても指の隙間から零れ落ちる様に、イメージもまた説明しようと声に出したり、細部を確認しようとした瞬間に意識の狭間から抜け落ちる。だから口にはせずにそのイメージに近い存在を探す。そのモデルと出会えた瞬間、それは力強く息を吹き返し、光を増し、色鮮やかになる。日々目にする事象は、私にインプットする要素であると同時に、アウトプットの為のモデルでもあるのだ。 モデルと出会った時に受けた心象をそのまま表現するために、私が使用する色は三原色と白と黒に限定されている。心象は、私に見えている映像だったりイメージそのものであり、その心象を原色の持つ発色の良さと混ざり合う混濁との調和、そしてモノクロで描かれるモデルとの対比とでより鮮明に浮き彫りにすることが可能になる。
そこにもまた光によって導き出される「狭間」が存在する。 また、実際の制作作業ではイメージが先行して存在するために、何を意味し、どのようなテーマと関わるのかがわからないままに行われている。ある種の苦行のように、または、まるで私の肉体を使用して何者かが描いているようにそれは行われる。私はこの時も狭間にいると言える。 私は意識を集中し、筆を入れる。筆を入れ始めた時点で、ゴールはほぼ見えているかの様に思う。しかしそのゴールは描き進める内に変容し、それとともに私の意識もまた変化する。
それこそが、自分自身が今何を見ているのかを確かめる唯一の手段なのだ。
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